認知症の根本治療薬により認知症の人は減るか?

認知症の根本治療薬により認知症の人は減るか?
以下は、記事の抜粋です。


近未来には、こうなるかもしれない。あなたが50歳で検診を受けると「コレステロールが高いです」「骨密度が低いです」のように「脳内のアミロイドが溜まってます」と書かれてしまう。すると専門外来を受診し、毎朝(あるいは月に1回とか)認知症の薬をのむ。あなたは、本来は70歳で認知症を発症していたかもしれない。しかし75歳までは認知症を発症しない。75歳になると、あなたは認知症を発症し、ゆっくりと認知機能そして身体機能が低下を始める。

素晴らしい科学の進歩だということをまず押さえよう。そのうえで以下を問い掛ける。

第一の疑問は、あなたは主観的に認知症予防効果を感じられるであろうか、というものだ。答えはイエスでありノーでもある。なぜなら人生は1回きりなので、あなたは結局のところ「高齢期に認知症になった」という1回きりの人生において1回きりの体験をしている。それは科学的には有意に遅くなっているのだろうが、あなたの実存においてはあまり関係ない。個人の体験と、集団での有意差は別の話である。

第二の疑問は、認知症に伴う不安は解消されるかというものだ。今回の対象者は軽度認知障害などであるが、進行が遅らされている(繰り返し言うが、それ自体は素晴らしいことだ)。しかし臨床家として言えるのは、不安な時期が延びたとも言えるな、ということだ(繰り返すが、早く進行してしまえばよいという意味では決してない)。

認知症になっても不安や孤独に陥ることなく、一回きりのかけがえのない人生を希望と尊厳をもって生きることができるようにするのは、薬ではなく、社会変革だろう。問題は人々が、薬が出たらすべてがバラ色だという思い込みをしていたら、大間違いだということである。ただ、人々のリテラシーは向上しているように感じる。ドネペジルが出たころは思い込みが多く見られたが、aducanumabやlecanemabに関する報道を見ていても基本的に抑制されてると思う。

第三の疑問は、認知症の人は本当に減るのかということだ。認知症の薬というとなぜか人々は「認知症が根絶される」ということを意味すると勘違いする。認知症になる人はこの先もずっといる。糖尿病や高血圧の良い薬はたくさんあるが、患者さんは増えている。おそらく、平和な社会、医学の発展、経済的繁栄が続く限り長寿化はまだ止まらないのだから、認知症の人は今後しばらくは増えるだろう(なお、人口は減少局面にあり絶対数は今後は減少に転じると思われるが、その時は青壮中年の人々も減少しているだろう)。

最後にまとめてみると、病態生理に直結し、進行を遅らせる薬剤が出たことを素直に喜びたい。一方で臨床家なら誰もが知っているし、そもそも製薬会社の人も十分にわかっていると思うが、年を取れば認知症になるということは変わらない。時を止めることができないのと同じだ。認知症になることを遅らせること(予防)と認知症になっても楽しく生きること(共生)は対立概念ではなく、別の次元の話なのだ。わが国から予防のイノベーションを起こす方々を尊敬しつつ、共生のイノベーションも起こしていきたい。


もっともらしい意見ですが、いくつか引っかかるところがあります。

「第一の疑問」の「あなたは主観的に認知症予防効果を感じられるであろうか」というのが、それほど重要なこととは思えません。客観的に予防効果があれば薬としては十分だと思います。

「第二の疑問」の「認知症に伴う不安は解消されるか」というのは、「死に伴う不安は解消されるか」と同レベルの問題で、これも永遠に解決されないというか、どうしようもないというか、どうでも良い問題だと思います。

「第三の疑問」の「認知症の人は本当に減るのかということだ。認知症の薬というとなぜか人々は『認知症が根絶される』ということを意味すると勘違いする。」と書いてあるところですが、脳での認知症での進行が、他の臓器の老化による機能低下や癌の進行よりも遅くなる可能性は、十分にあり、その場合は「認知症が根絶される」ことになると思います。

最後に、タイトルの「認知症の根本治療薬により認知症の人は減るか?」ですが、「第三の疑問」で書いたように減るかもしれないと思います。

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