覚醒剤の助けで戦闘に臨む米軍兵士たち
この記事は、WIRED VISIONの「夏休み特集:薬物と社会」に載っていました。
以下は、記事からの抜粋です。
第二次世界大戦、ベトナム戦争、湾岸戦争を通じて、兵士たちに大量のアンフェタミンを配布し続けてきた米国防省は、これは無害なだけでなく役に立つと主張して、この習慣を変えようとしない。
空軍医師でパイロットでもあるピート・デミトリー博士は、記者会見を行ない、「米空軍は60年間、安全に使用してきた」経験があり、「覚醒剤に関わる事故は一切確認されていない」と主張した。
海軍大将として退役後、麻薬取締局の副局長を務めたユージン・キャロル氏は、第二次大戦中に空母着艦に際して注意力を高めるために、アンフェタミンを処方してもらった。しかし、今でもその常習性を懸念しているという。
アンフェタミンとは、酒井法子事件で有名になった覚醒剤とよばれる薬物で、古今東西、その使用が法的に禁止されていたように思いがちですが、そうではありません。上の記事のように、米軍では、「覚醒剤」そのものとして長期間使われてきた歴史があります。
日本でも覚醒剤が公然と市販されていた歴史があります。メタアンフェタミンは、昭和18年から25年にかけて、大日本製薬により「ヒロポン」という商品名で、薬局で売られていました(資料をみる)。米軍の”go drug”と同様、日本軍でも「突撃錠」として、突撃前に兵士に服用させたそうです。
ヒロポンは、陸海軍とも本土決戦用に大量に備蓄していましたが、敗戦で横流しされて闇市にあふれ、多くの慢性中毒患者が発生して社会問題になりました。このような患者のことを「ポン中」と呼んでいました。学生時代、この「ポン中」患者の症状が、統合失調症患者の症状と非常に似ていることを講義で聴きました。
また、アンフェタミンは、「ゼドリン」の商品名で武田薬品工業から、ヒロポンと同じように市販されていました(資料をみる)。これらの覚醒剤は、一般市民により、勉強に集中するためややせるために使用されていました。
マスコミが、本人の意思が弱いから薬物を止められないかのような報道をしているのは誤りです。慢性中毒状態になれば自分の意思では服用を止められません。これは、「依存性」とよばれる薬物そのものの性質です。父親が、息子に覚醒剤を止めさせるため、自分で飲んで範を示そうとして中毒になった例もあります。
絶対に服用しないこと、誤って服用した場合は、すぐに中止し、慢性中毒化を避けることが重要です。しかし、無理やり注射を打たれたり、だまされて薬物依存になることもあります。中毒患者の人格や人権を全面的に否定するようなマスコミ報道には抵抗を感じます。
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