岩田健太郎氏が予想する「ワクチン接種開始後の“混乱”」とその理由

進む新型コロナのワクチン開発…感染症医が「接種開始後に“混乱”が起こります」と断言する理由とは
元の記事はかなり長文です。以下は、ごくごく一部の抜粋です。


ワクチン後の世界
2020年10月現在、世界中でワクチンの開発が進められています。しかしかりにワクチンが開発されたとしても、それは決定打にはならないだろうと考えています。感染を100パーセント防げるパワフルなワクチンは開発されず、「重症化を三割減らす」とか「発症を半分に減らす」といった比較的マイルドなワクチンになるだろうと思うのです。

ワクチンが招く混乱
効果はどうあれ、もしもワクチンが開発されたとしたら、確実に起こるであろうことが一つあります。それは「混乱」です。「とにかく一刻も早く接種したい」と無我夢中でワクチンに飛びつく人が多数出てくる一方で、「ワクチンを打つと副作用で死ぬ」とか、「ワクチンを打つくらいなら、わざとコロナにかかって自然免疫をつけたほうがいい」といった陰謀論的な話も出てくるだろうと思うのです。そういう陰謀論めいた喧伝をしている人はすでにいますが、それがさらに増えるでしょう。

「誰を優先するのか」ということも大きな問題となるでしょう。若者か高齢者か、どちらを優先するのか。そういう世代間論争が起こるだろうと思うのです。子どもの感染リスク・重症化リスクが低いですから、子どものワクチン接種後回しにするのが妥当な判断ですが、間違いなく激しい批判の声が上がります。日本人は子どもを過剰に大事にする傾向があります。

もう一つ、「日本人を優先しろ」という声も上がるだろうとも思います。「在日外国人は後回しにしろ」などといった、聞くに耐えないような声も出てくるかもしれません。

そのような混乱が起きているときこそ、政治家の出番です。科学的知見に基づいた意思決定、国民に向けた明確なメッセージ、そしてリーダーシップが彼らに求められます。しかし、現実をありのままに見るかぎり、それはあまり期待できそうにありません。むしろ「政治家には何も期待できない」という前提で物事を考えておいたほうがよさそうです。

集団免疫とは何か
その場合、まず知っておいてほしいのは、「ワクチンを接種した人が多ければ多いほど、日本で暮らしている人全体の感染リスクを減らせる」ということです。

自分が病気にならないためにワクチンを打つ。そういう人が増えれば増えるほど、ワクチンを打っていない人も病気にかかりにくくなるのです。これは「集団免疫」といわれるもので、たとえあなたが後回しにされたとしても、ワクチンを接種した人が増えるのは、あなたにとっていいことなのです。

一人でも多くの人にワクチンを打って、集団免疫を作っていく。そのときに最も大切なのはスピードです。病院に来た人たちに片っ端から打っていくのが最善手で、「誰を優先するのか」という議論を延々と続けたり、接種の手順を厳密にしすぎたあげく、ワクチンの普及が遅れる、などということは絶対にやってはいけません。

厚労省によってつくられたワクチン接種の判断基準
2009年に新型インフルエンザの世界的流行が起きたとき、厚労省は、ワクチン接種について厳密なクライテリア(判断基準)を作りました。その基準が妥当だったかといえば、まったくそんなことはありません。僕はそのクライテリアをまるっきり無視しました。

あのとき配布されたワクチンは、あろうことか一つの容器に18人分が入っていました。容器を開けたら、ワクチンは24時間以内に使いきらないといけません。余ったら捨てるしかないわけです。

厚労省が作った厳密な条件を満たす人を選んでいたら、時間内に18人分を使いきるのは不可能でした。だから僕はクライテリアを無視して、病院に来た人たちに片っ端からワクチンを打ったのです。一人でも多くの人に免疫をつけるために。

厚労省の厳密な方針が足かせになることも
2009年の失敗から、厚労省は何かを学んだのでしょうか。おそらく何も学んでいないと思います。厚労省は、新型コロナワクチンについても厳密な基準を作るでしょう。あまりにも長くて、現実には運用できないような基準を作る。そしてそのために、ワクチンの普及は遅れ、接種率は下がるでしょう。

多くの病院や保健所は、厚労省が決めた方針を一言一句、忠実に守ろうとします。そうしないと、あとで徹底的にいじめられるからです。

新型コロナ第一波のとき、感染者数の報告は遅れ、PCRは効率よく回せませんでした。その原因の多くは、病院や保健所が「厚労省の厳密な方針」に縛られていたことにあります。すべての医療従事者の目的は「患者さんを救うこと」です。そのための手段の一つが「厚労省の方針」です。新型コロナワクチンの開発後、どのような混乱がやって来るにしても、そこの主客転倒だけはしてはいけません。

二つの道のどちらを行くか
ここ10年あまり、日本の医療機関は経済効率を上げることをひたすら追求してきました。ベッドの稼働率をかぎりなく100パーセントに近づけ、病院は常に患者で溢れている状態。これが経済効率のいい医療の姿です。

感染第一波が終わったあと、指定医療機関ではベッドをわざと空けて、コロナ病棟をガラガラにしました。赤字を垂れ流しながらキャパシティを増やし、第二波に備えたのです。われわれは今、経済効率のいい医療とは一時的に決別しているわけです。こうした態勢は国の支援がなければ長続きしません。それは金額ベースで「いくら必要だ」という話ではなく、哲学の問題です。

医療は産業なのか国防なのか
これまでどおり医療を産業のカテゴリーに入れておくのか。それとも消防や警察、国防のカテゴリーに入れるのか。新型コロナと共生する未来がもしもやって来たとき、われわれはこの問題と正面から向き合うことになります。

消防や警察、軍隊では経済効率は優先されません。「経済効率のいい消防」のために消防士や消防車を減らしたりしません。あるいは警察なら「犯罪が減っている」という理由で組織のスリム化が図られることもない。ムダを省く努力はもちろん求められるべきですが、いざというときに迅速に対応できないような「効率化」は本末転倒です。

そうしたカテゴリーに医療を入れることになれば、医療崩壊のリスクは大幅に減らせます。しかしそのかわり、国民一人一人の負担は増える。増税はもちろんあるだろうし、これまでと同じ行政サービスが受けられなくなる恐れもあります。現状を維持するのか。国民の負担を増やして、医療のキャパシティを増やすのか。どちらも茨の道です。

もちろんこれは悪い未来の具体像であって、僕の予想はまるっきり外れるかもしれません。しかし新型コロナが今後どうなろうとも、「効率のいい医療」をそのままにしておくことはできないと、僕は思うのです。


竹中平蔵・パソナグループ会長が10月30日放送の『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)で重症患者をめぐる話題の際、「さっきから医療崩壊の話とか出てるでしょ? でも先程あったように重症患者が430名です。430名の重症患者が出て、この1億2600万人のですね、大きな国の医療が崩壊するなんて、おかしいわけですよ。400人ですよ?」という発言があったそうです(記事をみる)。

確かに、重症者は1億2600人分の400人にすぎないのに日本の医療が崩壊するわけがない、大騒ぎしすぎだ──。という意見には説得力があります。12月26日時点での日本の重症者数は654人です。しかし、1週間以上前から兵庫県は重症患者をとる余裕がなく、入院必要なのにできずに待機している人が大勢います。特に認知症や透析患者などでは重症化しても入院できない可能性が高いです。岩田氏は、「医療崩壊には定義がないそうですが、日常診療ではとうてい倫理的に受け入れがたいことが『仕方がない』と諦めざるを得ない状況を『医療崩壊』と呼ぶのではないでしょうか。」と他の記事で書いておられましたが、確かに医療崩壊が起きていると思います。

この現在の医療崩壊の大きな理由の一つは、上の記事にある「ベッドの稼働率をかぎりなく100パーセントに近づけ、病院は常に患者で溢れている状態」を保たなければ多くの医療機関が経営破綻する日本の医療体制だという推論は正しいと思います。しかし「政治家には何も期待できない」という前提では、今のところ良い考えは浮かびません。

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