2つの「スマラン事件」…(その1)5日間戦争(Pertempuran Lima Hari)

3スマラン事件」とは、インドネシアのジャワ島スマランで発生した事件のことですが、2つの別々の事件がどちらも「スマラン事件」とよばれています。

その1つは、第二次世界大戦直後の1945年10月15日から19日にかけて発生したインドネシア独立派と日本軍との武力衝突事件で、インドネシアでは「5日間戦争(Pertempuran Lima Hari)」とよばれています。もう1つは、日本軍占領中のインドネシアで日本軍人によりオランダ人女性に対して行われた拉致監禁・強姦事件のことで、白馬事件ともよばれています。今日は1つ目のスマラン事件について書きます。
日本語版のwikiには以下のように説明されています(wikiをみる)。


スマラン事件とは、第二次世界大戦直後の1945年10月15日から19日にかけてジャワ島スマランで起きた、日本軍とインドネシア独立派の間の武力衝突事件である。日本軍が保有する武器の引き渡しを巡って対立が生じ、インドネシア側民兵が拘束した日本の民間人多数を処刑、日本軍が戦闘の末にインドネシア側を制圧した。インドネシア側に1000〜2000人、日本側にも民間人を含め200人以上の死者・行方不明者が出た。インドネシアでは五日間戦争(Pertempuran lima hari)として知られる。


かなり客観的に書かれているようですが、インドネシア側は日本人が浄水場に毒を入れるという情報があったとしているなど、日本とインドネシアの認識には差があるようです。参考のために、以下に、昨年報道されたNHKの動画付きの記事を紹介しておきます。


日本とインドネシア 終戦直後の悲劇「スマラン事件」を後世に
1945年10月、終戦直後のインドネシアのスマランで、降伏した日本軍に対して、インドネシアの民兵が独立のための武器を要求。これを拒否した日本側との間で激しい戦闘が起き、双方で1200人以上の死者が出たとされている。戦後70年を迎えた今年、インドネシアの大学で働くひとりの日本人がインドネシアの研究者と共に史実の掘り起こしを進めている。70年前の事件と向き合うことで、日本とインドネシアの新しい関係を築こうと奮闘する人々の思いを伝える。


スマラン市の軍事博物館のガイドは以下のように説明しているそうです(サイトをみる)。


「インドネシアの独立を願う住民と日本軍との戦いがこの付近でありました。竹槍しか持たない住民に対して日本軍は圧倒的な武器を持っていました。多くの住民が日本兵によって殺害されました。」……「ここで住民が何十人も、日本兵によって首を切られました」


事件に直接関係した人々による手記や現地の取材に基づく「スマラン事件から【鎮魂の碑】建立までの軌跡 」という記事もあります。ぜひご覧ください。

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