大阪城天守閣が「忠実に復元された」って安倍首相が言ってたけどホント?

大阪城天守閣が「忠実に復元された」って安倍首相が言ってたけどホント?
実際には鉄筋コンクリート製で色も場所も違う? 「あやしい天守閣」第1位に選ばれたことも。

以下は、記事の抜粋です。


「大坂夏の陣図屏風」に描かれた豊臣期の天守閣(左)と、現在の大阪城天守閣

「大坂夏の陣図屏風」に描かれた豊臣期の天守閣(左)と、現在の大阪城天守閣


安倍晋三首相が大阪市内で開かれたG20サミットのあいさつで、大阪城の天守閣が「16世紀のものが忠実に復元」されたとして、復元の際にエレベーターを設置したのは「大きなミス」と発言した。これに対して「障がい者への配慮が足りない」などと批判が相次いでいる。

一方で、ネット上では「歴史的建造物を忠実に復元する際に、エレベーターを付けるべきではない」として、安倍首相を擁護する意見も出ている。

しかし、大阪城の天守閣は安倍首相が言うように「忠実に復元」されているのだろうか。実態を調査してみた。

安倍首相は、NHKニュースによると、その際に次のように述べたという。

「150年前の明治維新の混乱で、大阪城の大半は焼失しましたが、天守閣は今から約90年前に、16世紀のものが忠実に復元されました。しかし、1つだけ、大きなミスを犯してしまいました。エレベーターまでつけてしまいました」

豊臣期の大阪城の天守閣は木造だったが、現在のものは鉄筋コンクリート8階建て。戦前の1931年に完成。エレベーターは当時から設置されていた。大阪市役所の公式サイトによると当時、豊臣氏の大坂城天守閣に関する資料はほとんどなかったため、16世紀の「大坂夏の陣図屏風」に描かれた豊臣時代の天守閣をもとに設計したという。

屏風に描かれた天守を元にしているのであれば、当時の姿を再現したもののように思えるが、実際には大きく違っている。

実は、現在の天守閣の場所は、豊臣時代に天守閣があった場所と異なっているのだ。こうした事実は、天守閣が建設された当時は、知られていなかった。1959年の学術調査で初めて、現在の大阪城の城郭が豊臣期とは全く違うことが明らかになったという。

つまり・・・現在の大阪城天守閣は、徳川期の天守台の上に、豊臣期の天守閣をモチーフにして壁の色や屋根のレイアウトを変えるなど独自のアレンジを加えて、鉄筋コンクリートで作られたものだった。もし歴史的な建造物であればエレベーターの設置の是非が問われるのも分かる。しかし、現在の大阪城天守閣に関しては、エレベーターがあることで歴史的な意義が問われることはなさそうだ。


私は、一昨日も書いたように、90年前に、バリアフリーを意識して歴史的建造物の再建をしたのは素晴らしいと思いますし、「大坂夏の陣図屏風」に描かれた豊臣期の天守閣の絵と今の写真を比べても、場所と色が違うのは仕方がないとすると、当時の最新技術を使って本当にうまく再建したと思います。

それにしても、誰が安倍氏の原稿を書いたのでしょう?今ごろ、責められているのでしょうか?

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