STAP問題が照らし出した日本の医学生物学研究の構造的問題―シニアとピペット奴隷(ピペド)

STAP問題が照らし出した日本の医学生物学研究の構造的問題
以下は、記事の抜粋です。


よく誤解されているので、STAPの著者と権利について明瞭にしておきたい。Natureの2論文が、もし完璧な論文だったと仮定したら、論文から派生する莫大な権利・利益は誰が最も大きく享受するか?

医学生物学の階層社会では、第一に利益を享受するのは間違いなく最終著者(ラストオーサー)兼連絡著者(コレスポンディングオーサー)の人たちだ。次に実権があるのは、シニアの他の著者であり、たとえ第一著者が連絡著者としても、間違いなく第一著者の分け前は主ではない。
一般的に最終著者と第一著者が両方連絡著者になることはあるが、医学生物学の場合、クレジット(取り分)は自動的にシニア(=最終著者)にいくものなのだ。

さて、繰り返そう。権利を得るのはシニアだ。では、なぜ実験データに対する責任がジュニアのみに課されるのか。もう一度誤解がないようにいうが、医学生物学の古風な慣習からしても、論文執筆を主導していないことからしても、問題判明後の理研の対応からしても、私はSTAP細胞の第一著者は、実質的にはジュニアの身分(実質的平社員)として扱われていると見ている。


このあたりの見解は私も同じです(記事をみる)。小野昌弘さんは、シニアに支配されたジュニアを「ピペット奴隷(ピペド)」とよんでその現状を説明しています。


一方のジュニアは、別名をピペット奴隷(ピペド)という。彼らには長時間労働が強制されるが、研究者という名目だけで、自分の研究を教授の許可なしには自由に発表できない。そして老いた教授たちがいつまでも職に居座っているから、若者が大学・研究機関で定職に就ける見込みは殆ど無い。彼らはいつまでも下働きとしてこき使われている。「ピペド」以上の存在にはなれない。

しかも定職がない・学位がかかっているといった弱みにつけこまれて日常的に教授から理不尽な圧力をかけられる。こうした異常な事態が普通に見られる。ジュニアをこの不安定で肉体的・精神的に過酷な状況に追いやって、それでいて緻密な研究や科学的な高い倫理観を要求するのは、やはり無理があるのではないか。


幸か不幸か、私の周辺には、「土日なし、夜11時まで、というのが標準的な長時間労働が強制される」ような「ピペド」はほとんどいませんでした。むしろ、「エリート」と思われる研究者がこのような長時間労働を自らすすんでやっていました。

理研やトップ大学には「ピペド」が多いのでしょう。小野さんからみれば彼らは明日のない奴隷にみえるのかもしれませんが、「ピペド」自身からみて研究業界での支配者層によじ登れる可能性がまだ少しはあると思うから、当分は奴隷でも良いと考えているのではないでしょうか?

その可能性は、誰かが言っていたように、「バンドマン」として成功する可能性に近いのかもしれません。でも、多くの医学生物学業界で働くジュニアには、ピペドから這い上がりシニア研究者として生き残る可能性の方が、バンドマンとして成功する可能性よりも高いようにみえてしまうのでしょう。それが罪なのです。

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