友人から以下のようなメール(一部改変しています)が来て、吉岡秀人という小児外科医のことを知りました。
吉岡秀人っていう人のミャンマー医療支援、すさまじいですね。youtubeに情熱大陸やらインタビュー動画があがってました。すごいハードワークなのに、あまりいきったところを感じない。長いことやっているからそうなったのか、はじめから自然体の人なのかも。「目の前の患者さんが、自分にみてもらうことの申し訳なさ」をずっと感じてると言ってましたが、これ僕が研修医のときにいつも思っていたことと同じで。
医療が十分届かないところでの診療、臨床医ならとくに、胸の内に熱いものがわき上がるのを感じる人はたくさんいるような気がします。
しかしリサーチは、いわゆる「支援」とはとても思えないですね。それは、生活苦にあえいでいる人を直接助けることではないから、という意味ではなくて、リサーチは基本対等だというか、たとえ知識が乏しかったとしても優秀な人はどこにでもいるでしょうから。
情熱大陸の動画を2つみて、「発展途上国の子供を救え!小児外科医吉岡秀人の戦い」というブログの記事もいくつか読みました。
ブログ記事では、「人生の後半は”破壊”を使命とする」の「大した肩書きが腐るほどあるヨボヨボの老人の名刺を見たことがあるか?腐るほどの財産をため、植物状態になって人工呼吸器でかろうじて生きている老人達の姿を見たことがあるか?死ぬ前は、肩書きを全て脱ぎ捨て、一人の男になって死にたいものだ。ここから、私は破壊者として生きる。まずは過去の自分を破壊する。」の後半部分が気に入りました。
1万人もの子供の命を自分の手で救った感覚というものが実感として想像できませんが、達成感は無いだろうと思います。おそらく、目の前にいる病気の子供を次から次へと手術していてふと気がついたら、その数字が1万になっていたのでしょう。
このような人が「過去の自分を破壊する」というのは何をするのか興味があります。
コメント
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美談には、結構裏もあるもので。