ノーベル賞学者・大隅良典博士が語る「日本の科学力が低下した」理由

ノーベル賞学者・大隅良典博士が語る「日本の科学力が低下した」理由…「論文の引用回数がそれほど重要な指標とは思っていない」
全く同感の大隅先生のインタビュー記事があったので以下に抜粋を紹介します。


日本の科学力は本当に憂慮されるほど低下しているのだろうか。だとすれば、それを食い止めるために今、何をすればいいのだろうか?2016年に「オートファジー(細胞内部の自食作用)」の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典博士に、日本の科学力の現状をどう見ているか、また日本の科学力を立て直すために何をすべきかを聞いた。

内向きになって守りに入ってしまった先生たち
大隅 残念ながら、これは予想されていた結果だと思います。(200わ4年の)大学法人化から研究費の削減が長い間続いて、大学が貧しくなってきたという表れでしょう。また博士数も減少していますが、これも日本の研究活動が間違いなく低下している証です。単に博士号の取得者が減っているだけではない。これまで日本の大学の研究は大学院生で支えられるという面がありましたが、博士課程に進学する人も減少することで研究室の活動自体が全体的に下がっている。そうした中、大学の先生方も内向きになって守りに入ってしまうことから、今回のような結果になったと思います。

――企業や大学の研究費でも、研究者の数でも、ドイツやフランスは日本より少ないですが、上位論文数では日本を凌ぎます。このあたりの理由について、先生は何か思い当たるところがございますか?

大隅 日本では定常的な研究費が削られて、(研究者が)科研費などを自分で獲得しなければならなくなりました。しかも、その採択率が低いので、自分にとって面白い研究をするのではなく、とにかく研究費を継続して得ることが最優先になってしまった。実際、何人もの大学院生らを抱えて研究費がどこかの時点でパタッと途切れると、今の大学研究室はどうしようもない。これを救済する措置もありません。となると、(大学などの科学者は)未知の何かにチャレンジする研究ができないんですよ。むしろあらかじめ結果が推測できて、それなりに進展し、最終的に論文発表まで無事にもっていけるような研究にしか意識が向かない。

また学生の目から見ても、そのような状況に追われる科学者が魅力的な職業ではなくなったので、卒業後は研究者として大学に残ろうとしない。これらの要素が相まって大学の基礎研究力が低下してしまった。これが今の日本の大きな問題だと思っています。

新しい研究の芽を摘んでいる「選択と集中」
――逆に言うと、英国やドイツなど諸外国では、もっと安心して基礎研究に取り組み、それによって何かにチャレンジできる環境が整っているということですか?

大隅 間違いなく、そうです。若い人が存分にチャレンジできるようなシステムが用意されています。また、研究室でコア(中核)になって活躍できる人の数も多い。これに対し、日本のラボは外国人から見ると大所帯に見えるようですが、コアとして研究できる人は意外と少ない。たとえばPI(Principal Investigator: 研究責任者)は日々の管理業務や雑務にばかり追われて自分の研究ができないなど、楽しみながら研究をできる人の数が減っているんですよ。

――そうした中、日本では政府による科学研究の「選択と集中」の政策が昨今の研究力低下を招いたとの指摘もあります。これについては、どのようなご意見をお持ちでしょうか?

大隅 私も、その通りだと思います。確かに一部の財界関係者などからは「日本の大学は生ぬるい」「大学の数が多すぎる」、「もっと研究できる大学にお金を集中しなければ、日本はダメになる」といった批判が長い間寄せられてきました。

ただ、本当にそのような「選択と集中」をやってしまえば(研究の)裾野が広がりません。つまり、新しい研究の芽が摘まれてしまうということです。

この点で日本の評価システムはちょっと変で、(科学者が)「予想外の結果が出ました」と報告すると評価は低いんですね。むしろ「(当初の目標を)何パーセント達成できました」といった点ばかりが評価される。

でも、実はサイエンスというのは、あらかじめ結果が予想できるものではない。「予想もしない面白い結果が出てきました」というのは、本当は物凄く喜ぶべきことなんです。あらかじめ政府の側で成果が出そうな特定分野に資金を投入して費用対効果を上げようとする「選択と集中」の政策は、そのチャンスを研究者から奪ってしまうことになります。

狭量な価値観から独創的な研究は生まれない
――そうした点では、大隅先生の研究室が1988年頃に始めたオートファジーの研究も今の時代ではやり難かったでしょうか?

大隅 選択と集中は「みんなが注目していることにお金を注ごう」というやり方ですが、私の根底には「人のやらないことをやろう」という思いがあります。ただ、「人のやらないこと」は最初のうちは誰からも注目されません。

昨今は論文の引用回数が上位何パーセントとか騒いでいますが、正直、私はそれらの指標はそんなに重要とは思っていません。本当に面白い仕事(研究)はその時点で評価されるものではないからです。当時、オートファジーの研究者は本当に少なかったので、引用される回数も少なかった。

科学論文のような研究成果を何らかの形でランク付けしようとすれば、引用回数のように客観的でクリアな指標に頼らざるを得ないわけですが、引用回数が多いということは、すでにその研究分野が流行りになっていることを意味します。

しかし、流行りになってからその研究を始めたとしても、エポックメイキング(画期的)な仕事はできません。だとすれば、そのようなランキングには最初から大した意味はない、というのが私の率直な見解です。

少なくとも、論文の引用回数に従って国からの研究費を傾斜配分する、といったことは止めた方がいいと思います。そのようなやり方では、若い研究者が萎縮して「必ず成果が見込める研究」にしか手を出さなくなる。本来「面白い事」にチャレンジするはずの研究者マインドが失われてしまいます。

「今注目されているから」ではダメ
――若手研究者が「面白い事」にチャレンジできるようにするためには、どんな環境が必要でしょうか?

大隅 「この研究分野は今、注目されているから、この人がやろうとしている、このプロジェクトに2年間で1000万円(の研究費を)出しましょう」というお金の配り方はダメですね。2年間で成果が出るような研究しかやろうとしないからですよ。むしろ継続的に資金を提供して、安心して未知の事柄に挑戦できる環境を整えてあげることです


記事には書かれていませんが、私は、任期中に一定の成果をださないと雇用が継続されない可能性が高い研究者雇用の任期制という制度が若手研究者を内向きにしていると考えています。大学院の博士課程を修了して30歳前後で博士号を取得した優秀な若者が、10年後の40歳前後で職を失う可能性があるようなポスドクや助教という職業に就くのを躊躇するのは当たり前です。捏造などの不正行為が増えたのも選択と集中や任期制のためだと思います。

不思議なのは、大隅先生のような著名な学者がかなり前からこのようなことを言っているのに、文部科学省は彼の提言をずっと無視し続け、日本の科学力が落ちるようなおバカな政策を続けていることです。落ちるところまで落ちるしかないのでしょうか?

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