「三国志」曹操の陵墓発見 中国河南省、遺骨も出土
三国志「曹操の墓」と断定…河南の墳墓、遺骨確認・副葬品の数々も
以下は、記事の抜粋です。
中国河南省文物局は12月27日、同省安陽市安陽県で、後漢末期の武将で三国時代(3世紀)の魏の基礎をつくり、「三国志の英雄」として知られる曹操(155~220年)の陵墓を発見したと発表した。
陵墓からは60歳前後とみられる男性の遺骨が見つかり、専門家による暫定的な鑑定結果によると、60代で死亡した曹操本人のものとみられるという。
陵墓は面積約740平方メートル。二つの墓室などがあり、鉄剣や水晶、石碑などの埋葬品が200点以上出土した。曹操を示す「魏武王」と刻まれた銘文も含まれ、曹操の陵墓だと示す根拠の一つになったという。
曹操とみられる男性のほか、女性2人の頭蓋骨や足などの遺骨も見つかった。
中学生の頃、フィクションである「三国志演義」を事実だと信じて、曹操は漢の皇室を脅かし天下をねらう「冷酷無慈悲な敵」と思っていました。しかし、これはあまりに単純化した曹操像であることがわかりました。屯田制を最初に成功させ、「孫子」を編纂した事実から、謀略というよりは、文化を尊ぶ合理的な戦略家だったと思われます。
私が最初に覚えた中国のことわざは、「説曹操、曹操到」(曹操のことを話すと曹操が来る)です。「噂をすれば影」と同じです。
1800年前日本は、弥生時代の後期で、中国から「倭」とよばれる地域でした。「邪馬壹国」という国があったと中国の文献(魏志倭人伝)には書かれていますが、国内には記録がなく、その場所さえわかりません。その時代に曹操は、「短歌行」という詩を残しています。右は意訳です。悩みのレベルは現代と同じです。
對酒當歌 人生幾何 譬如朝露 去日苦多 人生は朝露のようにはかない
慨當以康 幽思難忘 何以解憂 唯有杜康 憂いを解いてくれるのは酒だけ
青青子衿 悠悠我心 但爲君故 沈吟至今 有能な人材を得たい
幼幼鹿鳴 食野之苹 我有嘉賓 鼓瑟吹笙 来客はたっぷりもてなす
明明如月 何時可採 憂從中來 不可斷絶 しかし簡単には賢人を得られない
越陌度阡 枉用相存 契闊談讌 心念舊恩 どこまでも探すつもりだ
月明星稀 烏鵲南飛 紆樹三匝 何枝可依 人材も名君を探しているはず
山不厭高 海不厭深 周公吐哺 天下歸心 天下の賢人を手に入れよう
下の写真は今回出土した石牌です。左端の石碑に「魏武王」と刻まれています。
面白い動画がありました。
コメント