2月21日の朝日新聞の社説に「受精卵取り違え」に関して「あってはならないことが香川県の県立病院で起こった」と書かれていました。社説ということは、社の主張です。しかし、私はこの「あってはならない」ということばを使うのは、適当ではないと思います。
この言葉以外は、おおむねこの社説に賛成です。「まず実態を調べることだ。そのうえで再発防止を徹底させるべきだ。」にはまったく同感です。しかし、「あってはならない」と言ってしまったら、実態を調べにくくなりませんか?本当にその病院だけか?本当にその医者だけか?本当に悪いことか?良く調べようとすれば、最初にそんなことは言えないはずですね。
そこには、「事件を起こした者が悪い」という先入観があり、同じような行為をした人を怯えさせ、実態調査をゆがめてしまいます。個人だけではなく、組織やシステムあるいはルールが悪い場合もあるかもしれません。大臣が連発していることから考えても、責任者が管理責任を逃れるための言葉のような気がします。
むしろ、「あってはならない」とされる多くは、ものすごく「ありそうな」ことです。上記の社説でも「事故は起こるべくして起こった」とも書いています。「あってはならない」と結論せず、「何故起きたか?」と問い続けて欲しいです。事件の実態や背景を調査し、事件の起きるメカニズムを明らかにすることがジャーナリストの醍醐味ではないでしょうか?
つたない意見を書きましたが、グーグル検索してメディアサボールMedia Saborというオンラインメディアに、駒澤大学、山口浩さんの2007/07/09「「あってはならない」は、あってはならない」という記事を見つけました。私のものより、ずっと詳しく過激です。
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