「食物の受け渡しを伴わない、非攻撃的な口と口の接触」について

人がキスをする本当の理由 2100万年前の祖先から続く、進化生物学の物語
以下は、記事の抜粋です。


人間のキスの歴史は、約2100万年前、中新世の熱帯雨林の樹冠から始まる。そこでは、私たちの類人猿の祖先たちが、ロマンスとは無関係の、生存に直結する理由から、唇を重ねていた。

キスというもの、少なくとも唇を合わせるという行為そのものは、人間だけのものというわけではない。

チンパンジーはキスをする。ボノボもキスをする。オランウータンは、社会的緊張や和解の場面で唇を重ねる。

研究者らはこの行動について、人類及びすべての大型類人猿の共通祖先、つまり、私たちの種が出現する約2100万年前にさかのぼる可能性が高いと結論づけた。

ネアンデルタール人も、ほぼ間違いなくキスをしていた。この結論は、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人が唾液の交換を通じて口腔内細菌を共有していたこと、そして、両者が交雑していたという証拠によって裏付けられている。

人間のキスにまつわる進化上の難問
話を進める前に、その行動を正確に定義しておこう。キスとは、食物の受け渡しを伴わない、非攻撃的な口と口の接触だ。

口と口の接触は、病原体の伝播において、極めて効率的な経路だ。唾液には、数百種の細菌や多数のウイルスが含まれており、そのなかには深刻なものもある。この行動は、直接的なエネルギーの確保につながるものではないし、防御につながるものでもない。少なくとも表面的には、生存確率を高めるものではない。それどころか、進化の帳簿という冷徹な視点から見れば、それはコストのかかるものだ。

それにもかかわらずこの行動は、人間だけでなく、数百万年にわたる霊長類の進化においても存続し、私たちの系統の歴史における生態系の大変動をすべて乗り越えてきた。

オックスフォード大学のマチルダ・ブリンドル博士は、これを「進化の難問」と表現している。この表現は的を射ている。明らかな利益がなく、真のコストを伴う行動は、時間の経過とともに淘汰されるはずだ。それにもかかわらず、キスが淘汰されず、むしろ私たちの系統がより複雑になるにつれて、深まり多様化したという事実は、それ自体が示唆を与えてくれる。

つまり、キスとは、すぐにはわからない形で、生物学的にそれだけの価値があるということだ。その仕組みを説明するため、3つの仮説が提唱されている。

人間のキスに関する3つの仮説
1. グルーミング仮説
英ウォーリック大学のアドリアーノ・ラメイラの研究によれば、キスは、霊長類のグルーミングの最終段階に由来する可能性が高いという。つまり類人猿において、ある個体が、別の個体の毛並みを整えた後、付着したごみや寄生虫を取り除くため、突き出した唇を皮膚に吸い付けるような動きをする瞬間のことだ。

しかし、人類の進化の過程で、私たちは体毛を失った。それに伴い、グルーミングの時間も短くなった。しかしどうやら、その最後に行われる「キス」は残ったようだ。最初は社会的絆として、そして次第に、それ以上のものとして。

ラメイラの分析は慎重にも、この変化が必然的なものではなかったことを指摘している。それは、特定の生態学的圧力、つまりヒト科の祖先が、森林地帯から、より開けた乾燥地帯へと移り住み、その頃に体毛を失ったことと関係していた。

手入れすべき厚い毛皮がない生活では、口を使った接触は、衛生的な機能から切り離され、新たな社会的意味を獲得する余地が生まれた。その行動はすでに存在しており、私たちの行動レパートリーに組み込まれていた。進化は単に、その用途を変えたにすぎない。

2. 遺伝的適合性仮説(The genetic compatibility hypothesis)
二人がキスをするとき、知らず知らずのうちに、互いに対して生物学的検査を行なっているという説だ。

免疫機能の中心を担う遺伝子群である「主要組織適合遺伝子複合体(MHC:major histocompatibility complex)」に関する研究により、人間は無意識のうちに、自分とは異なるMHCプロファイルを持つパートナーに引き寄せられることが明らかになった。そのメカニズムは、主に嗅覚によるものと考えられる。

その進化論的根拠は単純明快だ。MHCプロファイルが異なるパートナーのあいだに生まれた子どもは、より幅広い免疫レパートリーを持ち、より多様な病原体と戦う能力を持つ。MHCプロファイルの相違が大きいカップルほど、体外受精による妊娠成功率が高く、妊娠間隔は短く、流産率が低い。

親密さや、身体的な接近、唾液の交換を伴うキスは、私たちがこうした遺伝的な情報を得るためのメカニズムなのかもしれない。つまり、初めてのキスがうまくいかないのは、テクニックの問題ではなく、あなたの免疫系が何かを伝えているのかもしれない。

3. 神経化学的な絆仮説(The neurochemical bonding hypothesis)
この仮説は、なぜ私たちが、すでに評価し、選んだ相手とキスを続けるのかを説明している。キスは、脳内で化学反応の連鎖を引き起こす。欲望や報酬に関わるドーパミン、信頼や愛着に関わるオキシトシン、そして、安らぎや落ち着きをもたらすエンドルフィンだ。

オキシトシンは、二人の絆において重要な役割を果たしており、その放出は、身体的な親密さによって引き起こされることが示されている。このモデルにおいてキスは、長期的な絆を維持するための化学物質を届けるメカニズムであり、関係の新鮮さが薄れた後も、愛着を保ち続ける役割を果たしている。

以上3つの仮説を総合すると、それらは互いに競合し合う説明ではなく、互いに補完し合う重層的なレイヤー(層)と言える。キスはおそらく、グルーミングとして始まった。その後、遺伝的評価の手段として取り入れられた。そして、それが進化の過程で維持されてきたのは、キスがもたらす強力な神経化学的報酬のためだ。

それぞれの層が互いを強化し合い、社会的衛生の一形態だった行為を、人間の行動レパートリーの中でも最も感情的な行為の一つへと変貌させたのだ。

人類にとってさえ、キスは普遍的なものではない
私たちはキスについて、まるですべての人間が行うことであるかのように語ってきたが、実際にはそうではない。

キスの起源を2100万年前までさかのぼったオックスフォード大学の研究では、ロマンチックあるいは性的なキスが確認されているのは、人類の文化の約46%にすぎないことも明らかになった。一部の社会では、この行為は広く行われている一方で、全く行われない社会もある。

これにより、2025年の研究で完全には解明されなかった疑問が生じる。ロマンチックなキスとは進化の結果ではあるが、一部の文化圏で後に抑制された行動なのか、それとも、特定の集団から広まった文化的発明なのかという疑問だ。

科学の現段階における正直な答えは、確かなことはわかっていない、というものだ。研究で明らかになっているのは、キスをする能力、つまり神経回路、化学感覚器官、神経化学的メカニズムが、霊長類に共通して見られる特徴であるということだ。これは、私たちの種が受け継いだものであり、その後、どこでどのように生きるかによって、極めて多様な形で発展してきた。

おそらくそれが、キスについて最も明白なことだろう。キスとはまさに、自然と文化、生物学と(そこに与えられた)意味が交差するところに位置している。半分は太古からの反射であり、半分は社会的な発明なのだ。

誰かに身を寄せると、2100万年前の何かが動き出す。それはかつて、中新世の森での毛づくろいのひとときを終わらせる行動であったし、祖先たちが、見知らぬ相手に適切な免疫プロファイルがあるかどうかを見極める手助けをした行動でもあった。そして、現代の脳にドーパミンやオキシトシン、そして寄り添うことの温もりをあふれさせるものでもある。

キスが、詩や文学、さらには西洋のロマンチック映画の古典的作品の大事なテーマになっているという事実は、進化論的な観点で言えば、「ボーナス(おまけの贈り物)」のようなものなのだ。


ネバダ大学のJankowiak氏らの研究によると、恋愛や性的な意味でのキスを行う文化は全体のわずか46%でした。つまり、世界の過半数(54%)の文化圏では、私たちが想像するようなキスが日常的に行われていない、あるいは「不快な行為」とみなされているそうです。

Jankowiak氏の分析によると、階層化された複雑な社会(都市国家や文明圏)ほどロマンチックなキスを行う割合が高く、狩猟採集民など平等の強い社会ほどキスをしない傾向が見られ、熱帯地域のように衣服が少なく、全身で肌のぬくもりや官能性を共有できる環境に比べ、北極圏などの寒冷地では顔しか露出していないため、顔や鼻を使った親密なコミュニケーションが発達したという環境的な要因もあるようです。

どうやらキスは本能的なものではなく、文化的なもののようです。

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