「メンデルの法則」はなぜ無視されたのか? その発見と再評価…修道院で行われたエンドウマメの実験から「遺伝学」の誕生まで
以下は、記事の抜粋です。
グレゴール・ヨハン・メンデルは今日「遺伝学の父」と呼ばれている。とはいえ、メンデルの功績が認められたのは、彼が亡くなった1884年より16年あとのことだった。
メンデルの実験はなぜ生前に日の目を見ることがなかったのだろうか。偉大な実験の成果が発表された2月8日を機に振り返ってみよう。
メンデルが遺伝学の種をまいたのは、現在のチェコ共和国ブルノの人里離れた修道院だった。
オーストリアで自作農の子として生まれたメンデルは、聖アウグスチノ修道会に入会するも、「極端に引っ込み思案」で小教区を任せるのにふさわしくないと判断されてしまった。その結果、農園で働いた経験や、ウィーン大学で科学や数学を学んだ経験から、メンデルは修道院の菜園を任された。
有名なエンドウマメ(Pisum sativum)の実験は、ブレノの聖トマス修道院で暮らしていた1856年から1863年の間に行われた。メンデルはエンドウマメの色や形が世代から世代へと受け継がれていく仕組みを解明しようとした。エンドウマメを実験材料に選んだのは人為的な交配が簡単だからだ。
メンデルは8年間で約2万8000株のエンドウマメを育てた。エンドウマメ1株につき数十のサヤがつく。さやの中の豆の数で考えれば少なくとも100粒以上になり、たやすく形質(形や性質)を観察できた。育てるコストが安く、大量に栽培できて、成長が早い植物を見つけることが『統計的パターン』を発見する最良の方法だ。
メンデルは、種子(豆)の形、アルブミン(エンドウマメの胚などに含まれるタンパク質)の色、種皮の色、サヤの形、未熟なサヤの色、花の位置、茎の長さというエンドウマメの7つの形質をつぶさに記録し、自家受粉させた場合と他家受粉させた場合とで、次世代にどのような形質が現れるかを詳しく記録した。
当時の科学では、子には両親の形質が混ざり合って受け継がれると信じられていた。だが、メンデルの観察結果はこの考え方に反していた。メンデルは偶然にも、のちに遺伝子と呼ばれるようになる「粒子」が、次世代に形質を伝えることを発見したのだ。
メンデルは、植物を交配させたとき、どのような子孫が生まれるかに特定の法則があるのかどうかを見極めようとしていたのだ。
メンデルは1865年2月8日と3月8日にブリュン(今日のブルノ)の自然科学協会で約40人の出席者を前に発見の概要を発表した。その翌年に発表した論文では、今日「メンデルの法則」として知られる遺伝に関する3つの原理について記述しているが、当時はほとんど注目されなかった。
メンデルの第1の原理は「顕性の法則」だ。形質を決める独立した要素には顕性(例えば、そばかす)と潜性があり、顕性の形質だけが一様に表れる。
第2の原理は「分離の法則」。生物は形質について父親由来と母親由来の2つの遺伝子を1対持っており、子に受け渡すときには対になっている遺伝子が分離して1つずつ子に受け継がれる。
第3の原理である「独立の法則」は、ある形質の遺伝子が分離する際、別の形質の遺伝子の分かれ方に影響しない。つまり母親の青い目が子に遺伝したとしても、赤い髪も遺伝するとは限らないということだ。
遺伝子の研究に大きな進歩をもたらす発見だったにもかかわらず、メンデルが科学界と密接なつながりを持っていなかったせいで、存命中は注目されなかった。
メンデルは1884年に亡くなるが、その後、進化生物学者は、農業を活用して種に起こる変化を調べるようになる。また植物学者は大量の植物を育て、形質がどう世代から世代へと伝わるかを理解し、品質改良につなげようと試みた。
1900年、カール・コレンス、エーリヒ・フォン・チェルマク、ユーゴ―・ド・フリースという互いに面識のない3人の科学者がそれぞれ別々にメンデルの研究を再発見し、遺伝学と呼ばれる学問の鍵を見つけだす。
「遺伝学(genetics)」という言葉が使われるようになったのはメンデルの死から21年後のことだ。1906年、この言葉は英ロンドンで開かれた植物の交雑に関する国際会議でも採用された。そして「遺伝子」という言葉が植物学者であったウィルヘルム・ヨハンセンよって造られ、40年以上前にメンデルが「粒子」と呼んだものにようやく名前が与えられた。
メンデルの研究は今も遺伝学の基礎であり、人間を含め多くの種で形質がどう次の世代に伝わっていくかを理解する礎となっている。
メンデルは自分の才能がいつか世に認められると信じていた。死の数カ月前、彼は別の修道士に「研究は私に大きな喜びと満足を与えてくれました。その成果と意義を世界が理解するまでそう時間はかからないでしょう」と語っている。
私も酵母の遺伝学の研究に関係していましたが、メンデル氏がどんな人かまったく知りませんでした。修道士だったとは!ちゃんと発表して論文も書いていたのが素晴らしいです。写真も残っていることから考えると、当時の修道院はアカデミックな環境だったのですね。

オーストリア帝国の植物学者で遺伝学の父であるグレゴール・メンデル。写真は1860年ごろ撮影されたもの。1856年から1863年にかけてメンデルは修道院の菜園で3万株近いエンドウマメを育て、親から子に特徴が受け継がれる際の特定の法則を発見した。


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