スラバヤのアイルランガ大学(Universitas Airlangga)に来ています。スラバヤは、人口300万のインドネシア第2の都市で、東ジャワ州の産業の中心です。アイルランガ大学は、オランダ植民地時代にできた医科大学が元になってできた13の学部を持つ国立の総合大学です。キャンパスにはオランダや日本の植民地統治時代の建物も残っています。以下に写真を紹介します。
スラバヤの地名は、ここでサメ(=スロ)とワニ(=ボヨ)が「どっちが一番強い生き物かの決定戦」をやったという伝説に由来しているのだそうです。こういうモニュメントが市内のあちこちにあります。上の写真は宿泊したホテルの前にあったものです。下は、グーグル・マップスでみたアイルランガ大学のキャンパスA(医学と歯学)です。
広大なキャンパスですが、駐車スペースは車で溢れています(上)。1943~45年はこの地域を日本が支配しており、ジャカルタ医科大学(スラバヤ分校)と名前を付けていました。その当時の卒業生の名前を刻したネームプレートがありました(下)。
美しい中庭を医学生が歩いています(上)。薬草園もあります(下)。
ユネスコの史跡に指定されている建物内にある綺麗な階段教室(上)。現在も大切に使われています。タイル張りで、天井にはパワーポイント用のプロジェクターもついています。別の階段教室(下)。1学年300人弱、女子学生率は約60%だそうです。授業をすべて英語で行う少人数のinternational class(10名程度)が3年前からスタートしています。負担が増える担当教員には少しインセンティブがあるそうです。
図書館内(上)。医学部の建物の中はどこも非常に美しく清掃されており、床の多くはタイル張りです。ここでは学生は絨毯に直接座って勉強しています(下)。
学生用の学習室も絨毯が引いてあり、学生はその上に座って勉強したり、議論したりしています。ここでもタブレットが良く普及していました(上)。CBT(computor based test)のための部屋も完備しています(下)。
大学のすぐ隣にあるストモ病院(約1600床)は、東部ジャワ州でもっとも上位に位置する州立病院(インドネシアに4つあるAクラス病院の1つ)です。昔はここが大学附属病院的な役割を果たしていたそうですが、レジデントが増えすぎて、医学部学生の研修が困難になったので、大学は新しく教育用の病院(約400床)を建てました。上はストモ病院の入り口、下は結核病棟です。
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