日清食品創業者・安藤百福の歴史から「消えた娘」は台湾でホームレスになっていた
以下は、記事の抜粋です。
安藤百福(1910~2007年)は、「チキンラーメン」や「カップヌードル」を開発した日清食品創業者、きょう3月30日に最終回を迎えたNHK朝ドラ『まんぷく』のモデルにもなった。
百福は日本統治時代の台湾南部、樸仔腳(現・嘉義県朴子市)で、「呉百福として生まれた生粋の台湾人だ。
百福は1945年に大阪で安藤仁子(1917~2010年)と結婚し、ふたりは1947年に息子の宏基を、1949年に娘の明美をもうけた。日本の敗戦を受け、台湾生まれの百福は大日本帝国国籍から中華民国国籍となったが、1966年に帰化して日本国籍を再取得。仁子の姓「安藤」を名乗るようになったことは官報にも記されている。
百福は仁子と結婚する前に2人の台湾人女性と関係があり、それぞれと子供をもうけていたことはあまり知られていないだろう。ドラマはあくまでフィクションのため、台湾に関するエピソードや、仁子以外の女性たちとの関わりは一切、描写されていない。
朝ドラでは、「チキンラーメン」が「まんぷくラーメン」になっていました。カップヌードルが世に広く知られたのは、あさま山荘事件の時、機動隊の隊員がおいしそうに食べているテレビ中継だったような気もします。
でも、その程度の違いは想定の範囲でした。この記事を読んで、娘がホームレスになっているかどうは別として、モデルになった安藤百福氏の実話と「萬平さん」のドラマでは、ラーメンとグラタンぐらいの違いがあると思いました。
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