「不倫」芸能人は世間に謝る必要があるのか?

「不倫」芸能人は世間に謝る必要があるのか?
以下は、記事の抜粋です。恵方巻には興味がないのでその部分は省きました。


もう1つ違和感を覚えるのが、週刊誌やテレビのワイドショーなどの不倫報道だ。次から次へと俳優やタレントなどの不倫問題が暴かれている。引退に追い込まれたミュージシャンもいる。不倫を暴かれた人は記者会見をして、「お騒がせし、ご迷惑をかけました」などと謝罪させられるが、騒いでいるのは視聴率目当てのワイドショーやSNS上のつぶやきだけである。

去年を例にとると、8月時点で、テレビの在京キー局だけで120時間も不倫問題を取り上げたそうである。これにネット上の反応が盛り上がり、さらに取り上げる時間が長くなるのだそうだ。ある局などは、1時間近く、ある女性議員の不倫騒動を取り上げていたという。

そもそも俳優やタレントの不倫で迷惑を蒙った人などいないはずだ。迷惑を蒙ったのは、当事者の妻(あるいは夫)や子どもなど、その家族だけである。なぜ世間に向かって謝罪する必要があるのか。家族に謝罪すればそれでよい。それを大真面目に経緯の説明などをさせられてしまう。そんな必要などさらさらない。

男でも、女でも、妻や夫以外の異性を好きになることはある。その感情自体を誰も責めるわけにはいかない。不倫であろうとなかろうと、人を好きになり、それを行動に移すということは大変なエネルギーを必要とする。さまざまな心の葛藤もあるはずだ。その微妙な心の襞(ひだ)は第三者に説明などできないものだ。

その関係や家族がどうなるのかは、当事者たちの自己責任で決めるべきことだ。他人がとやかく言うことではない。要するに下衆(げす)な覗き趣味に過ぎない。都々逸の一節に「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ」というのがある。不倫であろうとそうでなかろうと、恋路は恋路である。恋路を邪魔するのは、無粋で、野暮なことだ。

どこかで多くの男女が不倫に憧憬感を持っているのではないだろうか。不倫を歌った歌が流行り、カラオケで熱唱するのはその証であろう。

私も十八番にしている曲の1つが大川栄策の『さざんかの宿』だ。この曲の歌詞の1番は、「くもりガラスを 手で拭いて あなた明日が見えますか 愛しても愛しても ああ他人(ひと)の妻」で始まり、3番の「春はいつくる さざんかの宿」で終わる。要するに、明日も見えない、春が来ることもない、道ならぬ恋を描いたものだ。

台湾出身の歌手、テレサ・テンは、日本でも絶大な人気を博したが、彼女には“不倫三部作”と言われるヒット曲があった。『つぐない』『愛人』『時の流れに身をまかせ』がそれである。『つぐない』『愛人』はそれぞれ150万枚、『時の流れに身をまかせ』は200万枚という大ヒット曲であった。

不倫は演歌の世界だけではない。最近の新しい歌でも道ならぬ恋をテーマにした曲で溢れている。まるで不倫がなければ歌の世界は成り立たないのでは、と思えるほどだ。不倫だけではなく恋愛も、淡々とした日常ではなく、その非日常性に人の心を惹きつけるものがあるのかもしれない。歌が不倫と切っても切れない関係にあるのは、そのためではと思える。

人というのは、厄介な生き物なのだ。それは何よりも動物であるということに由来しているのかもしれない。「この人と生涯連れ添う。他の異性など見向きもしない」と心底思っていたとしても、その気持ちが変化することはある。そんなことは、世間にいくらでもあるはずだ。「墓に夫と一緒に入りたくない」という女性も多いという。結婚したときには、そんなことは毛頭考えていなかったはずだ。心はとっくに離れているということである。

古希の私は、高齢者にも大いに恋愛を勧めたいと思う。恋をすれば、いっときでも熱に浮かされ元気づく。いくら年をとっても、ときめく気持ちは失わないようにしたいものだ。有名人も週刊誌やワイドショーなどに振り回されることなく、堂々と恋愛してもらいたい。


この記事を書いた筆坂氏は、Wikiによると元日本共産党員で、「参議院議員2期目の任期途中の2003年6月、セクシャルハラスメントを疑われたことをきっかけとして議員辞職。中央委員罷免、常任幹部会委員・幹部会委員など党の要職も解任された。」そうです。また、このセクハラ事件について本人は「事件については、結局は党内の派閥抗争であり、自分がそれに敗れただけだという見解を示している。」そうです。

兵庫県出身であること以外、育ってきたバックグラウンドは全く違いますが、不倫や恋愛についての考え方が私とほぼ同じであることに驚きました。

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