日本国旗を燃やすのはけしからんが…参政党が主張「国旗損壊罪」新設に反対する理由、風刺も芸術的表現も委縮の恐れ
ぼんやりと感じていた違和感をうまく説明してくれています。以下は、抜粋です。
日本国内において、自国の国旗を損壊する行為を罰する「国旗損壊罪」の新設をめぐる議論が再び活発化している。きっかけの一つは、10月に参政党が「日本国国章損壊罪」を盛り込んだ刑法改正案を参議院に提出したことである。
現行刑法には、外国の国旗や国章の損壊を罰する規定(刑法第九十二条「外国国章損壊罪」)が存在する一方で、自国の国旗を対象とする規定はないからだ。この「不均衡」を是正し、国家の象徴としての尊厳を守るべきだというのが、新設を求める賛成論の主たる主張だ。「外国の国旗は守るのに、自国の国旗を守る法律がないのはおかしい」という素朴な疑問や、「法の不均衡」を指摘する声が上がっているのだ。
通説的な見解では、刑法第九十二条が保護しようとしている法益は、損壊された「外国」そのものの利益や名誉ではなく、「日本と当該外国との良好な外交関係(外交的利益)」であると考えられてきた。
日本国内で他国の国旗が公然と侮辱され、それを日本が放置した場合、当該国との外交関係が悪化し、ひいては日本の国益を損なう恐れがある。それを未然に防ぐために設けられた規定だと考えられている。というのも、「外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない」とされ、いわゆる「親告罪」になっている。当該外国政府が「問題ない」あるいは「内政干渉と受け取られることを避けるため、あえて請求しない」と判断すれば、日本の検察官は起訴することができないことを意味する。
このような抑制的な刑法第九十二条と、これから新設されようとしている日本国旗損壊罪とを、単純に「バランス」や「不均衡」という言葉で比較することの危うさを感じる。
国旗損壊罪を新設しようとする法案(2025年の参政党案や、過去に自民党有志らが検討した案)の多くは、刑法第九十二条の構成要件をなぞる形で、「日本国に対して侮辱を加える目的で」国旗を損壊・汚損等した場合に処罰する、という構成をとっている。この「侮辱目的」という要件こそが、表現の自由を著しく脅かす危険性を有している。
何が「侮辱」にあたり、何が「芸術表現」や「正当な政治的抗議」にあたるのか、その線引きは極めて曖昧である。
例えば、1970年代の英国のパンクバンド、セックス・ピストルズ(Sex Pistols)は、「God Save The Queen」という曲を発表した。もちろん英国国歌「God Save The King」への強烈な風刺である。
そのレコードジャケットや関連デザインでは、英国国旗が引き裂かれたり、安全ピンで留められたり、女王の写真の目や口が国旗や文字で塞がれたりしていた。これは明らかに英国王室と体制に対する痛烈な風刺であり、見方によっては「侮辱目的」と解釈されかねない挑発的な表現だ。
英国政府はどうしたか。もちろん日本政府に刑法第九十二条の適用を求めたりはしていない。我々が学ぶべきは、そのような成熟した寛容な自由民主主義社会のあり方かもしれない。
日本でも、ラッパーがミュージックビデオで日の丸に囲まれてパフォーマンスを行ったり、アーティストの椎名林檎氏がかつて旭日旗をモチーフとしたデザインを使用したりしたことがある。
これらの芸術的表現が、もし「国旗損壊罪」や「国章侮辱罪」が存在する社会で行われた場合、どうなるか。アーティストやデザイナーは、「これは侮辱にあたるのではないか」と自粛しかねない。その結果、社会から多様な意見や自由な(時には過激で不快な)表現が失われ、窒息してしまうことが危惧される。
本稿の簡易な検討を経て、国旗損壊という行為自体はけしからんことであると認識した上で、それでもなお、その行為を刑法で規制する必要性が、既存の法律(器物損壊罪等)で対処可能な範囲を超えて存在するのかということを問うておきたい。
そして、その規制は、憲法第二十一条が保障する「表現の自由」という我が国の根幹をなす価値を制約してまで必要なのだろうか。改めて慎重な議論と丁寧なコンセンサス形成が求められるということを述べておきたい。
「セックス・ピストルズ」懐かしいです。誰かが「セックス・ピストンズ」と言っていたのを思い出しました。



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