もしも終末期の延命治療が自費になったら

もしも終末期の延命治療が自費になったら
日経メディカルに掲載された廣橋 猛氏(永寿総合病院)の記事です。以下は、抜粋です。


参院選の選挙期間中でのある政党の政策をご存じでしょうか。医療費削減のため、終末期の延命治療を保険適用から外し、全額自己負担にするというものでした。

「多くの国民が望んでいない終末期における過度な延命治療を見直す」として、「本人の意思を尊重し、医師の法的リスクを回避するための尊厳死法制を整備」「事前指示書やPOLST(生命維持治療に関する医師の指示書)で、医師が即座に心の負担なく適切な判断ができるプロセスを徹底」「終末期の点滴や人工呼吸器管理等延命治療が保険点数化されている診療報酬制度の見直し」「終末期の延命措置医療費の全額自己負担化」などを掲げていました。

もしこの政策が実際に導入されたら、現場では何が起きるのでしょうか。

今回は、終末期医療に関わる緩和ケア医として、延命治療が自費化された場合に想定される具体的なケースを通じて、この政策の問題点を考えてみたいと思います。

鈴木太郎さん(58歳)は、中堅商社の営業部長として家族を支えてきました。高校2年生の娘と大学2年生の息子がおり、住宅ローンも残り10年。週末は息子のサッカーの試合の応援に行くのが何よりの楽しみでした。

そんな鈴木さんに膵臓癌が見つかったのは半年前のことです。大学病院で抗がん薬治療を続けてきましたが、効果が見られなくなり、医師から緩和ケア主体の治療への移行を提案されました。もはや終末期といわれる病状でした。

最後の入院となった今回、鈴木さんの体は急速に衰えていました。食事や水分がほとんど取れず、強い倦怠感に苦しんでいます。「のどが乾く」と何度もつぶやきます。そんな夫を見て、妻の美代子さんは医師に相談しました。
「先生、主人がつらそうなんです。何かできることはありませんか?」

主治医は優しく答えました。
「脱水で身体がつらく感じているのかもしれません。点滴をしたら少し楽になるかもしれません」

しかし、次の瞬間、医師の表情が曇りました。
「ただ、新しい制度では、終末期の点滴は『延命治療』として扱われ、保険が適用されません。全額自己負担になります」

点滴にかかる費用は自費だと1日約6000円。1カ月だと18万円になる計算です。病室で、鈴木さん夫婦は重い沈黙に包まれました。鈴木さんの頭をよぎったのは、現実的な数字でした。息子の大学の学費は年間120万円。娘も来年は大学受験で、入学金や授業料が必要になります。住宅ローンの月々の返済は12万円。妻のパート収入だけでは、とても回りません。

「美代子、俺はもう十分生きたよ」
鈴木さんは、かすれた声で妻に言いました。本心は違いました。「娘の卒業式に出席したい」「息子の就職を見届けたい」。まだまだ生きていたかったのです。

「先生、点滴は結構です。家族に迷惑をかけたくないので」

美代子さんは夫の手を握りしめました。「お父さん、お金のことは心配しないで」と言いたかったのですが、現実を考えると言葉が出ませんでした。娘の進学を諦めさせるわけにはいかないのです。

数日で、鈴木さんの状態は急速に悪化しました。倦怠感で起き上がることも全くできなくなりました。それでも彼は、見舞いに来る家族に向かって「大丈夫だ」と無理に笑顔を作り続けました。

1週間後、鈴木さんは家族に看取られながら息を引き取りました。最期まで「娘の卒業式を見たかった」とつぶやいていたそうです。

点滴をしたとしても、その後の経過に大きな違いはなかったかもしれません。でも、経済的なことを理由に、少しでもつらさを和らげ、前向きに生きるという希望を諦めざるを得なかったのです。

延命治療自費化における真の代償とは
この事例は、終末期や延命治療の定義など、いくつかの前提を仮に定めたものであり、政策立案者が意図したものとは少し違うかもしれません。でも、決して極端なものではありません。

もし終末期の延命治療が自費化されれば、実際に起きるのは経済格差による「命の選別」ではないでしょうか。裕福な家庭は延命治療を継続できますが、そうでない家庭は、延命を希望しても治療を断念せざるを得ません。「生きたい」という人間として当然の願いが、お金の問題によって左右されてしまうのです。

現役世代は、家族の将来を人質に取られ、自ら死を選ぶ圧力にさらされます。また、治療費負担を巡って家族間に深刻な対立が生まれることもあります。経済力の違いが「愛情の差」として解釈され、患者自身が家族の負担を考えて苦しむことになるかもしれません。

医療現場でも、「症状緩和」と「延命治療」の境界が曖昧なため混乱が生じ、医師が経済的理由で適切な緩和医療を提供できなくなってしまうかもしれません。


廣橋氏はもう1つ、82歳の年金暮らしの高齢者が肺炎にり患し、肺炎は治癒したにも関わらず、終末期とされたことで莫大な治療費の負担が生じたケースについて書かれています。

まとめると、超高齢者の肺炎などの死亡に至る可能性が高いが治癒の可能性もあるような場合や、癌患者で治癒をあきらめて疼痛緩和などを中心とした緩和医療の場合に行われる治療を「終末期における過度な延命治療」と判断されると、医師が経済的理由で適切な医療を提供できなくなる可能性があると主張されています。

私はなんとなくですが、これらのケースは某政党も「終末期における過度な延命治療」と認定しないような気がします。しかし、「終末期における過度な延命治療」かどうかで家族にかかる経済的負担が大きく変わるので、その線引きや判断が様々なトラブルの原因になることは間違いないです。政権党になったとしても実現されることはなく、選挙のためのアピールで終わるでしょう。

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