サンチャゴ要塞(Fort Santiago)

サンチャゴ要塞(Fort Santiago)
以下は、マニラ旅行 クチコミガイドで、最も満足度の高い口コミです。


歴史がごっちゃになるのでよく勉強してから行きたい

スペイン人が城塞化し、アメリカ人が使用したり、日本人が捕虜収容所としたり、フィリピンがいかに他国によって翻弄されたか物語る遺跡です。園内には、日本人の残虐行為によって600名もの市民がなくなったという碑も有り、我々が悠長に散策するような場所ではありませんが、これからの世界平和を祈らずにはいられない気持ちにさせられました。


要塞内には、35歳で処刑された建国の英雄ホセ・リサール(José Rizal)の遺品や日本人ガールフレンドの肖像画などが置かれたリサール記念館があり、ぶらぶらと歩いただけでは、そちらの印象の方が強いと思います。

1942年から1946年までの4年間に日本人の犠牲になって死んだフィリピン市民は600名だけではありません。特に、世界大戦末期の1945年2月、アメリカ軍がマニラへ突入した際に、大本営(旧日本軍の最高決定機関)が現地部隊の意見を無視してマニラ死守に固執したため、日本軍はアメリカ軍との間で3週間以上の激しい市街戦を行いました。このため、10万人の市民が犠牲になったと言われています。

10万人がすべて日本人によって殺されたかどうかは別として、日本軍がフィリピンに侵攻していなければ、あるいはアメリカ軍の侵攻に際して、現地部隊の提案通りにマニラの無防備都市を宣言していれば、少なくとも数万人は死ななかったはずです。

サンチアゴ要塞を案内してくれた歴史研究者でもある管理事務所の職員は、自分の日本人に対する感情は複雑だと言っていました。フィリピンの人々が親切に接してくれる度に、何か申し訳ないような気持になります。

要塞内には金属製の足型があります(上)。リサールが処刑の時に辿った道に残された足型を正確に残そうとしたものです。拘束されていたため、歩幅は小さいです。足型をたどると、鉄格子の中に等身大のリサール像がありました(下)。

公園内のインディアン・マンゴーの巨木から実をとっている様子(上)。そのすぐ後ろの建物には1945年の銃撃戦による多くの穴がそのまま残っています(下)。

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