ケ・サラ(Che Sera)の訳詞と原詞

ケ・サラ(Che Sera)という歌があります。ホセ・フェリシアーノ(Jose Feliciano)が1971年のサンレモ音楽祭で歌ってヒットしました。

日本でも、越路吹雪、ペギー葉山、岸洋子、憂歌団の木村など多くの人によって歌われています。ところが、歌詞は、以下のように訳詞者によってかなり違います。


訳詞:岩谷時子

平和で美しい国 信じあえる人ばかり だけど明日はどうなることやら 誰もわかりはしないさ ケサラ ケサラ ケサラ 僕たちの人生は 階段をてさぐりで歩くようなものさ エサラ サラケル ケサラ
訳詞:にしむらよしあき
押さえ切れない怒り こらえ切れない悲しみ そんなことのくり返しだけど 決して負けはしないさ ケサラ ケサラ ケサラ 僕たちの人生は 平和と自由もとめて 生きてゆけばいいのさ


イタリア語の原詞を直訳すると以下のようになるそうです。

私の故郷 お前は丘の上にある 眠った老人のように横になって 退屈、無気力、虚無 それがお前の病気だ 私の故郷 私はお前を捨てて出て行く
(リフレイン)
どうなるだろう、どうなるだろう、どうなるだろう 私の人生はどうなるだろう 誰が知っているのか 私には何でもできるか それとも、何もできないか 明日からわかるだろう そして、なるだろう、なるだろう、なるように
私の友達はほとんど皆行ってしまった そして、残った者も私に続くだろう とても良い仲間だったから悲しい すべては過ぎ去り すべては消えて行く
どうなるだろう、どうなるだろう、どうなるだろう 私の人生はどうなるだろう 誰もわからない 私はギターを持って出て行く 夜、泣きたくなったら、故郷の葬いの歌を弾くだろう
愛する人よ 私はあなたの唇にキスをする 私の初恋の泉だった 君とまた会うことを約束するけれど、いつ、どこでかは言えない わかっているのは、私が戻ることだけ
(リフレイン)


ホセ・フェリシアーノの情感溢れる演奏が、多くの日本人の想像を刺激し、故郷惜別の歌を人生賛歌や反戦平和の歌に変えたようです。日本では、岩谷時子バージョンが卒業式などで歌われることがあるそうです。イタリアではなさそうですね。

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