「自分の頭で考えるなんてやめたほうがいい」という研究者の話。
私もこの「著名な研究者の彼」に同感する部分が多いです。その部分を抜粋して以下に紹介します。
「自分の頭で考えよう、ではなく、自分がバカであることを認識しよう、のほうが、はるかにいいね。本を読み、調べ物をし、人の考えを知る。それは、「自分が何を知らないか」を知るためです。こんなこと、研究者だったら知ってて当たり前ですよ。」
「いいですか、そもそも我々にとっては、「知っていること」よりも、「知らないこと」のほうがはるかに重要なんです。私はまだこれについて知らない、私はこれについて意見を持てない、そういう認識が、我々を高める。多様な見方を取り込もうと努力することにつながる。」
「自分の頭で考えるように学生に指導するのは、ちょっと危険ですね。会社でもそうでしょう?とりあえずマネしろ、じゃないですか。」
「そうでしょう?マネがきちんと出来るようになって、一人前になる。さらにそれから上を目指すときに、今までの知識を整理して「これはできるか」、「あれは可能か」を検証する。それには意味がある。自分の頭で考えるのは、そこからですよ。」
やはり、「マナブ」は「マネル」からということでしょうか、、、
コメント
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私らは先祖代々理系センスなので、
「そもそも我々は、
「知っていること」よりも
「知らないこと」のほうが
圧倒的に多い」ことを知っています。
宇宙の森羅万象について人類の英知は全く取るに足らないレベルでしかないということです。
その無力感に打ちのめされて初めて
「窮理をしよう」=「自分の頭で考えよう」
と思い、自分の頭で考えるために、
何かヒントになる先人の業績はないものかと探し、自分にとって今興味がある、とある件について、最先端の知見に到達するために誰を指導者にするのが妥当かを検討して、その件については、その人の著書を読んだり、コンタクトを取ってみたりするのです。
だから、初めから「学校さま」がなさる「基礎学力」の測定にもIQにも興味はなく、物心ついた初めから窮理をしようとしているだけです。
幸い、世界のどこへ行っても、真っ当な学者さんは、「教えてください」とお願いしたときに「嫌だ。お前のようなバカと話す時間はもったいない」と仰ることはないので、どの文献を読めば良いかなど本人に直接、訊いてしまえば、何の問題もありません。私の祖父も父もそうしたし、私もそうしてきたし、息子もそうするでしょう。
要するに、
素直に考えれば良いのです。
違うでしょうか?