「親孝行をし、兄弟仲良く、夫婦相和し、友達を信じ、みんなに博愛を及ぼし」などの部分は、教育勅語のオリジナルではない。

教育勅語は政治の真実を隠すための道具であったことを理解しない人たち
ある政治家が、高校生を捕まえて「日本語や日本文化」について偉そうに話していました。その人も柴山文部科学大臣と同じように、教育勅語が日本オリジナルなものだと思っているようでした。明治時代にできた多くのものは、それまで300年近く続いた江戸時代の「公儀」に代わる権力を作るためだったという上の記事の主旨に同意です。日本オリジナルな文化産物の多くは、明治時代ではなく、鎖国中の江戸時代にできたものです。以下は、記事の抜粋です。


大日本帝国憲法発布の明治22年から議会開設の23年にかけ明治政府は天皇の神格化を強力に推し進める。明治22年には全国の小学校に天皇の肖像画が「御真影」として飾られ、23年の議会開設直前に天皇から文部大臣に国民道徳の規範となる「教育勅語」が示された。

勿論、天皇の意思で教育勅語が作られたわけではない。藩閥代表格の山縣有朋が総理として指示を出した。忠君愛国と儒教的道徳を基本とする内容で、全国の学校に配布され式典のある日には朗読された。

柴山大臣が「普遍性がある」と言うのはどの部分なのかを教えてもらいたい。よく「親孝行をし、兄弟仲良く、夫婦相和し、友達を信じ、みんなに博愛を及ぼし」などの部分を指し「今でも必要な教え」と言う人がいる。しかしそれは教育勅語のオリジナルではない。儒教をはじめ他の哲学や宗教の教えにもあるなら、何も教育勅語を持ち出す必要はない。

教育勅語にしかないオリジナルに普遍性があるのなら、文科大臣としてその部分を指し示すべきである。出来たばかりの明治政府が、300年近く平和を維持した「公儀」に代わる権力を作るため、また一方では自由民権運動による体制の危機を乗り切るため、なりふり構わぬ国民洗脳によって天皇を絶対化した道具の一つと思うが、違うのだろうか。


何のための道具だったかは、作った人に聞いたわけではないのでわかりませんが、柴山大臣が教育勅語を持ち出したのは、上で紹介した政治家と同様、自分が今の自民党で生き残り易い「プチ右翼」であることをアピールしたかっただけだと思います。

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