トゥール・スレン(Tuol Sleng)虐殺博物館

プノンペンのトゥール・スレン虐殺博物館 ①
プノンペンのトゥール・スレン虐殺博物館 ②
上の2つは「アジア・プロダクション・サービス」という東南アジアで活躍する映像制作及びコーディネーション・チームのホームページに書かれている記事です。以下は、その記事からの抜粋です。
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プノンペン市内の中心地から少し南にかつて暗号名「S21」と呼ばれた場所があった。もとは高校だったこの建物は、クメール・ルージュの治安警察である「サンテバル」の本拠地として1976年4月から1979年1月にかけて政治犯を収容する施設として使用された。そしてたった2年9ヶ月の間に14000人~20000人が収容され、生還できたのはたった8人だけだといわれている。 
逆さ吊り拷問に使われた柱や、クメール・ルージュが撤退した後にここで最初に見つかった14遺体のために置かれた墓石がある。
中庭を囲むようにして一番手前にあるのがA棟とB棟。A棟は尋問室、というより正しくは拷問室で、当時のままの状態で保存されている。ベトナム軍の従軍記者が撮影したベッドに横たわる死者の写真が壁に掛けてある。B棟も尋問室であったが今はここで殺された人々の写真が展示されている。人々はここに収容されると、まず最初に写真を撮られ、調書を取られそして短い時間の後に拷問され殺された。C棟の1階と2階には独房、3階は雑居房があった。
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ここのGenocide MuseumはKilling Fieldsのものと違って、当時の建物がそのまま保存されています。おそらく、プノンペン市内には建物を壊すほど人が残っていなかったのでしょう。
左は入り口。以前は普通の学校だったのがわかります。右は説明板です。S21は”Security office 21″の略であることなどが書かれています。
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1979年1月7日ベトナム軍の支援によりカンボジア救国民族統一戦線がカンボジアの首都プノンペンに侵攻した時に発見された遺体14体が白い棺に入れられています(左)。A棟の尋問室(右)。ベッドの上に金属製の足かせが置かれています。
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囚人を逆さづりにして拷問する設備(右)。意識を取り戻させるための水瓶が置かれています。B棟には犠牲になった人々の写真が展示されています(右)。
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右上の続き、女性や子供の写真もあります(左)。金属製の足かせの山(右)。
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B棟の3階から中庭をみたところ(左)。C棟の廊下には囚人が飛び降りないように鉄条網が張られています(右)。
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C棟の煉瓦製の独房(左)。同じく木製の独房(右)。
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D棟(左)。普通の校舎にみえます。上の記事には、解放時に8人の生還者がいたと書かれていますが、正確には7人の大人と2人の子供だと思います。右は、7人の大人の写真。殺される予定だったことがわかります。
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生存者の一人、Chum Meyさん。83歳だそうです(左)。名刺をいただきました(右)。
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