Jembatan MerahとMasjid Ampel

スラバヤに来ました。スラバヤは、インドネシアを350年間植民地統治したオランダが東インド会社を置いた場所であり、インドネシア独立戦争の最激戦地でもあります。

Jembatan(橋) Merah(赤)は「赤い橋」という意味で、インドネシア人にはその周辺で流された多くの若者の血を連想させる場所だそうです。Jembatan Merahの近くのホテルに宿泊したので、朝食後に周辺を散策しました。チャイナタウンは門だけを残してほとんどなくなっていましたので、聖人スナン・アンペルをを葬った場所に建つというMasjid Ampel(Masjidはモスクの意味)とその門前市場に行きました。以下は、Jembatan MerahからMasjid Ampelまで歩いた途中で撮った写真です。

ホテル(Ibis Surabaya)の7階の窓からみた景色(上)。残念ながらモスクとは反対方向です。Jembatan Merah(下)。


Jembatan MerahからみたKya-Kya(チャイナタウン)の門(上)。その拡大(下)、門だけが残っています。チャイナタウンはどこかに移動したそうです。



途中に市場らしきものがありました。上はその入り口です。入り口は小さいですが、大きな市場です。果物や生きたアヒルも売っています(下)。オレンジを買いました。7個で約200円でした。



閉めた店先で女性が魚を売っていました(上)。突然、巨大な市場が出現しました。本当に大きいです(下)。ニンニクが山積みになっています。



こちらは、トウガラシ(?)が山積みになっています(上)。女性の髪を覆うヒジャブを売る店もたくさんありました(下)。



出口も入口同様、わかりにくいです(上)。広い道にも露店が並んでいます(下)。



アンペル・モスク街(?)と書いたところ来ました。どうも行き過ぎてしまったようです(上)。”Masjid Ampel”の標識をみつけたので、戻ることにしました(下)。早朝ですが、屋台がにぎわっています。



一度通り過ぎたところに”Masjid Ampel”の標識がありました(上)。標識に従って歩くと、静かな住宅街の中を歩くことになりました(下)。



住宅街の続きです。結婚式ビジネスの店がありました。モスクの近くのようです(上)。綺麗な花も咲いています(下)。



Masjid Ampelに着きました(上)。礼拝が終わったようで、人はパラパラとしかおらず、家族が周辺の石の階段でくつろいでいました(下)。

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