解剖実習と精神論

解剖実習と精神論

井上晃宏氏は、「宮崎大医学部の学生六人が、車ではねたウサギを自宅で解剖し、その模様を写真に撮影、インターネット上のブログ(簡易ホームページ)で公開していたことが十二日、分かった。」というニュースを引用して、解剖実習と精神論について、2009年11月20日のアゴラで議論しています。以下は、その抜粋です。


死んだウサギの死体をもてあそんだだけで、これほど大きな問題になるのは、解剖実習と関係がある。医学部は、「献体」という手続きを経て、無償で遺体を入手しているため、解剖実習が厳粛に行われていないと思われただけで、実習の遂行ができなくなってしまうのである。

医学生が、解剖実習によって人体の構造を学んでいるというのは建前である。実際は、構造は本で読んで憶えている。解剖実習に期待されている教育効果は、「これから医師になるのだ」という心構えを持たせるということに尽きる。ところが、これから解剖実習をするのに、「医師としての心構え」を要求すると、同義反復に陥る。解剖をさせなければ、「医師としての心構え」を持たせることができないが、「医師としての心構え」がなければ、解剖をさせるわけにはいかない。

解剖実習に精神的な効果を期待するなら、「医師としての心構え」が未熟なことは看過するしかないと思う。「医師としての心構え」ができているなら、そもそも解剖実習なんか必要ないだろう。


2005年9月の古い事件を持ち出して、井上氏が展開している内容は、解剖実習が「『これから医師になるのだ』という心構えを持たせるということに尽きる。」という、辟易するような精神論です。そうでしょうか?やり方によっては、逆に非人間的な医師を作るきっかけになることもあると思います。献体される篤志家と学生との交流などによって、学生が自然にご遺体の尊厳に配慮する教育環境を作ることは重要ですが、解剖実習が倫理観を植えつけるために存在するとは思いません。

学生に医師としての倫理観をうえつけるのは、簡単ではありません。ホスピス病院や養護老人ホーム,介護施設などで半年ぐらい実習する方が良いのではという意見もありますが、これも強制的にさせた場合や接するスタッフによっては、逆効果になることもあると思います。

医師は、一つ一つの症例から学び続ける職業ですが、解剖実習は、その記念すべき最初の症例との出会いの場です。教科書では学べないヒトの生と死の実体をサイエンスの対象として学ぶ場です。さて宮崎の学生ですが、死んだウサギの解剖は、臓器を剖出して同定することなど、彼らなりの科学的な態度で解剖が行われたとすれば、知的好奇心の発露ともいえます。

問題は、それを扇情的な形でブログに公開したことです。それにより「医師を目指す者として極めて軽率な行為」として処分されたわけで、そうなることを予見できなかった想像力のなさが、将来医師になる資質として問題です。

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